一般的に日本酒の味わいを、「甘口」や「辛口」なんて表現することがある。
その目安となる「日本酒度」や「酸度」なんて数字があるけれど、やっぱりそれだけじゃ味わいは表現できない。
今回は、辛口と甘口の表現についての、僕の考察。
日本のお酒だから、「日本語」と密接に関わっているのかもしれないと結論した。
今回は、辛口と甘口の表現についての、僕の考察。
日本のお酒だから、「日本語」と密接に関わっているのかもしれないと結論した。
辛口で甘口な日本酒
辛口でもあり甘口でもある日本酒が存在する。
というより、すべてが辛口でもあり甘口でもある。
というより、すべてが辛口でもあり甘口でもある。
日本酒は、お米を糖化させて造っているので、すべて甘口と言えば甘口だ。
……お米だけなのに、フルーツを連想させるような味わいになるものもあって、ほんとにスゴいと思う。フルーツを一切使っていないのにね――。
……お米だけなのに、フルーツを連想させるような味わいになるものもあって、ほんとにスゴいと思う。フルーツを一切使っていないのにね――。
それとは反対(実際は反対ではない)に、淡麗な味わいや、飲み口にキレのあるものなどを、辛口と表現することがある。
しかしこれは、人それぞれの感覚だ。
しかしこれは、人それぞれの感覚だ。
商品名に「辛口」と表示されているものもあるが、飲んだときに、「ん? 甘いけど?」なんて思うこともある。
それくらい、「辛口」や「甘口」という表現は、いい加減なものだ。
屁理屈じゃないけど、「いい加減」とは、その言葉通り「加減がいい」ということ。
日本酒とは、本来すべて甘いものなので、「辛口」と表現するのはいかがなものか? という議論もあるけど、僕は別に、辛口と表現してもいいと思っている。
それぞれが思うように表現したらいいし、そうする自由がある。
おいしく飲みたいだけだから、いい加減でいいじゃない。
ただし、数字で表せられないものなので、人それぞれが受ける印象に誤差があることは理解しておいたほうがいいだろう。
辛口は日本語のやさしさ
英語で「辛口」を意味する言葉で、パッと浮かぶものは「HOT」だという人が多いかもしれない。
HOTは、唐辛子みたいな味を表現するのに使われる。
だけど、「HOT(辛口)」な日本酒なんてない。日本酒のHOTは熱燗だ。
つまり、日本酒の辛口は、「HOT」とは違う。
だれが決めたかは知らないけれど、日本酒に限らず、お酒の辛口は「DRY」で表現される。
ビールでも、『ア○ヒスーパードライ』なんて商品もあるくらいだ。
僕個人の意見としては、なんぼ「お酒の辛口は『DRY』と訳す」と言われても、なんだかしっくり来ないというのが正直なところ。
絶妙なニュアンスがうまく表現できるとは、あまり思えないのだ。
中学の英語の影響なのか、「DRY」は、「乾く」といったイメージが先行してしまう――。
つまり、日本酒の辛口は、「HOT」とは違う。
だれが決めたかは知らないけれど、日本酒に限らず、お酒の辛口は「DRY」で表現される。
ビールでも、『ア○ヒスーパードライ』なんて商品もあるくらいだ。
僕個人の意見としては、なんぼ「お酒の辛口は『DRY』と訳す」と言われても、なんだかしっくり来ないというのが正直なところ。
絶妙なニュアンスがうまく表現できるとは、あまり思えないのだ。
中学の英語の影響なのか、「DRY」は、「乾く」といったイメージが先行してしまう――。
では、1つ例を出して考えてみる。
「わさび」の味を日本語で表現するならば、みなさんは、どのような言葉を使うだろうか?
「わさび」の味を日本語で表現するならば、みなさんは、どのような言葉を使うだろうか?
……ほとんどの人が「辛い」と表現するだろう。
僕も「辛い」と表現するのだけど、その反面「甘い」とも思う。
鼻にツンとくる刺激が辛いようにも思うけど、野菜らしい甘みも感じる。
つまり英語の「HOT」は、100パーセント「辛い」で表現されるし、「DRY」は、辛いよりも「乾く」イメージが先行しがちだ。
対して、日本語の「辛い」は、100パーセント「辛い」ではなく、少なからず「甘い」が含まれていることもあるということ。
この柔軟な表情を持つ言葉こそが、日本語のやさしさであり、美しさだと思う。
つまり英語の「HOT」は、100パーセント「辛い」で表現されるし、「DRY」は、辛いよりも「乾く」イメージが先行しがちだ。
対して、日本語の「辛い」は、100パーセント「辛い」ではなく、少なからず「甘い」が含まれていることもあるということ。
この柔軟な表情を持つ言葉こそが、日本語のやさしさであり、美しさだと思う。
上でも述べたように、味わいの表現は、人それぞれで自由だ。
「辛口」と表現するのを規制するのではなく、「『辛口』と表現するってことは、淡麗な味わいなのかな? 酸が強いのかな?」などと察して、受け入れる技量を持ちたい。
それを排他的にして受け入れないのは、人間としての器がお猪口の裏くらいしかないのではないだろうか……日本酒だけに。
「辛口」と表現するのを規制するのではなく、「『辛口』と表現するってことは、淡麗な味わいなのかな? 酸が強いのかな?」などと察して、受け入れる技量を持ちたい。
それを排他的にして受け入れないのは、人間としての器がお猪口の裏くらいしかないのではないだろうか……日本酒だけに。
二極化できない日本酒
では、甘口でもあり辛口でもある日本酒を、どのように表現すればいいのか?
こればっかりは、やはり「自由」なのである。
まず基準が人それぞれ違うし、その基準に対して、甘いのか辛いのか。
これらの表現は、そんなに単純なものではない。
たとえば、その人にとって、『辛さ51で、甘さ49』なら、「辛口」と表現するかもしれないし、『辛さ50で、甘さ50』でも「甘口」と表現するかもしれない。
「甘辛い」と表現するのも、その人にとっての正解だ。
気持ちは数値化できない。
気持ちは二極化しなくていい。
日本酒は、辛口が好みですか? 甘口が好みですか? と聞かれると、「辛口です」と答える。
だけどそこには、幾分かの「甘い」が含有された「辛口」だということを忘れないでほしい。
日本酒のおいしさは、さまざまな要素が組み合わさって、できている。
どんなにおいしい日本酒でも、酒器によってマズくもなるし、飲む場所によってもマズく感じる。
だれと飲むか? どこで飲むか? なにを飲むか?
ではなく、「だれと、どこで、なにを飲むか?」そういった、さまざまな要素が組み合わさってこそ初めて、おいしい日本酒を飲めるのだと思う。
二極化するのではなく、その「あいだ」にこそ、大切なことがある。
日本酒は、飲んだ人が感じた言葉で、素直に表現すればいい。
甘口でも辛口でも、その人がそう表現したならば、それは正解なのだ。
こればっかりは、やはり「自由」なのである。
まず基準が人それぞれ違うし、その基準に対して、甘いのか辛いのか。
これらの表現は、そんなに単純なものではない。
たとえば、その人にとって、『辛さ51で、甘さ49』なら、「辛口」と表現するかもしれないし、『辛さ50で、甘さ50』でも「甘口」と表現するかもしれない。
「甘辛い」と表現するのも、その人にとっての正解だ。
気持ちは数値化できない。
気持ちは二極化しなくていい。
日本酒は、辛口が好みですか? 甘口が好みですか? と聞かれると、「辛口です」と答える。
だけどそこには、幾分かの「甘い」が含有された「辛口」だということを忘れないでほしい。
日本酒のおいしさは、さまざまな要素が組み合わさって、できている。
どんなにおいしい日本酒でも、酒器によってマズくもなるし、飲む場所によってもマズく感じる。
だれと飲むか? どこで飲むか? なにを飲むか?
ではなく、「だれと、どこで、なにを飲むか?」そういった、さまざまな要素が組み合わさってこそ初めて、おいしい日本酒を飲めるのだと思う。
二極化するのではなく、その「あいだ」にこそ、大切なことがある。
日本酒は、飲んだ人が感じた言葉で、素直に表現すればいい。
甘口でも辛口でも、その人がそう表現したならば、それは正解なのだ。
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