(吉田)類は友を呼ぶ

 お酒を、一緒に飲みたい人と、一緒に飲みたくない人がいる。
 なぜ一緒に飲みたいのか。なぜ一緒に飲みたくないのか。
 それぞれの違いについて考えていきたい。

 恐縮ながら、「一緒に飲みたい」代表的な人物、吉田類さんを例に取り、述べていく。
 吉田類さんの魅力は、その素直さではないだろうか。

吉田類、人気の秘密


 先日放送された大人気番組「吉田類の酒場放浪記」では、僕の地元で、行きつけのお店である大和八木駅近くの『如意』さんに足を運ばれていた。
 そこで、類さんが奈良の地酒を飲まれている光景は、不思議で、でもやっぱり嬉しかった。

 類さんは、憧れの存在で、こういった番組をしてみたいと、日本酒作家になったときからずっと意識してきた。
 そもそも、「日本酒作家」という愛称は、「酒場詩人」の影響をもろに受けているのだ――。

「吉田類の酒場放浪記」は、2003年から10年以上も続く人気番組。
 酒場詩人の吉田類さんが全国の大衆酒場に出向き、絶品料理を食べながらお酒を飲む模様をただただ描いている。
 グルメ番組とは、少し違う空気だ。
 隣で飲んでいる常連客に、1品もらったり、たわいもない話をしながら乾杯することもある。

 10年以上も続く人気の秘密は、僕は、ひとえに類さんの人間力にあると思う。

 飲み方が優しいねんな~
 おいしそうに飲む姿は、視聴者の酒欲をくすぐるのである。

 ふらっと立ち寄って、適当に飲んでいるように見えるが、やはりテレビなので、ある程度の演出は用意されているのだけど、視聴者としては、まさに類さんが隣で一緒に飲んでいるかのように思えてくる。
 現に、テレビを見ながら、一緒に飲んでいるという人も多いのではないだろうか。

 類さんと一緒に飲みたいと思う理由は、その「素直さ」かもしれない。

 おいしいものを、おいしく食べる。飲む。
 自分の言葉で感想を述べる。
 そして、きちんと酔っ払う。

 基本的なことかもしれないが、これらが一緒に飲みたいと思う、大切な要素だと思う。

杯を酌み交わすときのマナー


 お酒の飲み方に正解などないのだけど、僕の中で、これは苦手だと感じる行動がある。
 これから挙げるマナーが守れない人とは、僕はあまり一緒に飲みたくない。

お酒を大切に扱えない人
 一気飲みの強要、無理強いなど。
 お酒を捨てるような行為だと思う。
 お酒を大切に扱えない人は、人間関係も大切に扱えない。

ウンチクを語る人
 これは微妙なライン。
 興味深いお酒の知識を教えてくれるなら嬉しい。
 しかし、柔軟性のない固定概念を押し付けてくる人。これはごめんなさい。
 人間関係にも柔軟性が欲しい。

違う空間にいる人
 一緒に飲んでいても、携帯をずっと触っているような人。
 だれかと一緒に飲んでいるのに、ずっと他の人と連絡を取っていたり、ひどい場合ゲームをしている人もいる。
 僕の周りにはいないが、居酒屋でたまにそういう人を見かける。

 大きく、この3点かなと。
 細かいことを言い出すと、それこそ一緒に飲みたいと思う人がいなくなるだろう。
 あくまで僕の個人的な意見なのだけど、これらに共感していただけた人とは、一緒に楽しく飲めそうだ。
 気を遣わず、ありのままで、でもお酒のマナーについては常に考えて飲んでいたい。

柔軟な軸を持つ


 僕は、自慢じゃないけど(自慢だけど)、ほぼ毎日のように飲みのお誘いがある。

 実際は予定があるので参加できないことばかりだけど、ありがたいことに、僕と一緒に飲みたいと言ってくれる人が、一定数いるということだ。
 自意識過剰かもしれないけど……。 

 僕と一緒に飲む人は、お酒のマナーが良い。
 僕のお店に来てくれるお客さまも、お酒のマナーが良い。

「類は友を呼ぶ」っていうのは、お酒の席でも言えるのだろう。
 一緒に飲みたいと思われる方法は、一緒に飲みたいと思われるように省みることに尽きる。

 基本的に僕は、お酒の飲み方、考え方など、ほとんどのことは「人それぞれ」だと考えている。
 僕の考えに反対の人がいても、それでいい。
 きっと、僕と真逆の考え方をしている人も、「お酒をおいしく飲みたい」という点では共通していると思うから。

 自分の考えを押しつけたり、ネガティブイメージを持ちこみすぎたりしないことを心掛けて、みんながお酒をおいしく飲めるような環境をつくりだせばいい。

 人に合わせることじゃなくて、人を受け入れることが協調性だ。

 そんな、決して折れない自分の考えと、自分と違う考えの人を受け入れるほどの柔軟性を持っていたいと思う。
 その上で僕は、「一緒に飲みたい」と思える人と、一緒に飲んで、きちんと酔っ払える時間を大切にしたい。

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